修学旅行のしおり
中学時代、修学旅行の夜に集会があった。
明日のスケジュール確認、安全に関する諸注意など、そんなような事を先生が代わる代わる話す会である。もちろん、今夜の宿泊に際して、きっちりお決まりのように釘を刺された。
私を含む生徒は、机に「修学旅行のしおり」を開きつつ、静かに話を聞いていた。
私はあらかじめ、自分のしおりにパラパラ漫画や名所の追加知識などを独自に書き込んで、自分だけのしおりを構築していた。
しおりの最後のページには、「おうちに着くまでが修学旅行です!」と大きく書き込んでいた。
そのページを開いて先生の話を聞いていたら、近くにいたY先生が、私の手筆の文言を見つけた。先生はニヤニヤとしていた。私は、半ば得意気に半ば恥ずかしそうに、先生を見返した。
Y先生は集会の大トリで話をする役だった。
先生の話は、内容はちゃんと真面目だが、どこか軽妙でユーモアに富み、明日へのワクワク感を掻き立てるようなものだった。普段から先生の語りには定評があった。
ところが、話の最後のシメに、Y先生は一呼吸置いて徐に言ったのであった。
「最後に皆さん、おうちに着くまでが修学旅行です!」
先生が放ったシメの一言は、大いにウケた。沸き起こる拍手喝采。
ユーモラスな言葉によって堅苦しい集会の終わりが告げられ、解放に向かってゆく皆の空気の中で、ただひとり、私だけが戸惑いの感情に狂わされていた。
(パクられた!)
Y先生のユーモアセンスは私も尊敬を置いているところだったから、そんな先生に私のユーモアが"採用"されて誇らしい気持ちも多少はあった。
しかしやはり納得のいかない気持ちが大きかった。
「Y先生最後、おうちに着くまでが修学旅行ですって言ってたじゃん」
「あれ僕のやつのパクリなんだけどね実は」
「パクられた〜パクられちゃった〜!参ったな〜」
「まぁ別に気にしてないけどね」
席を立ちながら、私は近くのクラスメイト相手にギャグの著作権をしきりに主張した。離れた所で立っていたY先生にもギリギリ届くかどうかくらいの声の大きさで、執拗に訴えた。
笑顔で、あくまでもパクられたことを心狭く怒ってるわけでは無いですよという雰囲気を出しながら、集会場所を出て部屋に戻ってもなお、私はクラスメイトに同じ話題をしつこく話した。その執拗さが何よりも私の心狭さを語っていた。
私の訴えを聞くクラスメイトも、そろそろしつこいぞという感じで、もはや適当なリアクションを取っていた。
ルームメンバーたちと大富豪を囲み、1つのゲームに皆のモチベーションが最も向いていることをやっと認識して、私はようやく自分の事を酷く惨めに省みることとなった。
環境やイベントによる気の弛みが、自分の中に顰む「しつこさ」という怪物をしばしば誘き出す。修学旅行の一件で、私はこのことに薄っすらと気付き始めた。
翌朝、皆が寝ている中、私はこっそり自分のしおりの最後のページを開き、例の文言を消しゴムで丁寧に消した。
修学旅行以来、Y先生に対してなんとなく苦手意識を持つようになってしまった。
大学生になって久々に母校を訪れ、Y先生に会った。先生は遠くの席から私を見つけると、袖で顔を隠しながらニヤニヤこちらを凝視してきた。全く笑えず、どういうユーモアやねんと思った。
Y先生のユーモアは、中学生くらいの年頃の子供にちょうどウケる匙加減になっていたのだということが、年を取って久し振りに彼のユーモアを見たことでようやく分かったのだった。失われた子供の純粋さなどと言われるものは、さしずめその辺りになるのだろうか。