夢日記

流体の人生

【歌詞が良かった曲】旅立ち/adieu

「旅立ち」というタイトル。上白石萌歌の歌手名義adieuによる曲。

作詞作曲はバンドbetcover!!などを手掛ける柳瀬二郎

 

adieu [ 旅立ち ] - YouTube

旅立ち - song and lyrics by adieu | Spotify

 

歌詞全文は以下の通り。

[1番]

台所で涼む虎 私は川を流れてる

隣の人が手を振って 縄を垂らして降りて行く

汚れた雲が流れてる

大体君はまだ未成年でしょう

乾きかけた紐を引っ張って

応える景色に胸がいっぱい

 

いい加減旅するのやめて

大人になれたらいいのにね

日暮れには笛の音

 

[2番]

あなたはいつも不安そうに 瞳の奥を輝かせて

夢の名残を追いかける 届くことは無いのにね

私はパリの白い虎 小さな素朴な好奇心

溶けかけた心を引っ張って

応える景色に胸がいっぱい

 

いい加減旅するのやめて

裸になれたらいいのにね

日暮れにはあなたの声

いい加減邪魔するのをやめて

私になれたら それから

日暮れには誰も知らない

 

なんとなく意味が分かるような分からないような、切なげな歌詞。

柳瀬二郎は「現実逃避の先にある現実を知り始めた人間or人間以外の何かの歌」であるとコメントしている。

「人間or人間以外の何か」と言っている通り、歌詞の中には「虎」が登場し、2番では「私はパリの白い虎」と歌っている。

歌詞の様々な比喩が示す所を明確にしながら、以下詳しく読んでいこうと思う。

 

 

 

1番

台所で涼む虎 私は川を流れてる

隣の人が手を振って 縄を垂らして降りて行く

汚れた雲が流れてる

大体君はまだ未成年でしょう

乾きかけた紐を引っ張って

応える景色に胸がいっぱい

 

比喩がいっぱいありそうだ。分からない部分が色々ある。

全体的に旅の情景、非現実的な情景であるが、「台所で涼む」とか「君はまだ未成年でしょう」とか現実味を表す文言が所々挟まっているのが、違和感を誘う。

 

隣の人が手を振って 縄を垂らして降りて行く

「降りて来る」ではなく「降りて行く」なので、「隣の人」は私の元から離れて去ってしまうということだろう。

 

続きのサビを先に見てみよう。

 

いい加減旅するのやめて

大人になれたらいいのにね

日暮れには笛の音

なるほど、どうやら先の歌詞の「隣の人」は「旅」から離脱したのだ、と分かる。

一方で「私」は未だ旅を辞められない、大人になれていない状態というわけである。

それも、「川を流れてる」「乾きかけた紐」というように、元気に満ち溢れた旅人というよりは、既に余程疲れて心を浸らせている雰囲気がある。

 

纏めると、周りの人が旅を辞めて大人になっていく中、自分は未だ旅から抜け出せずにいる。という感じか。

 

 

 

2番

あなたはいつも不安そうに 瞳の奥を輝かせて

夢の名残を追いかける 届くことは無いのにね

突然率直な文になった。

ここで、「あなた」と1番の「私」の状況が瓜二つであることに気付く。

「不安そうに」夢の名残を追いかける「あなた」。

「大人になれたら」と思いながらも旅の輝きに見惚れている「私」。

 

もしも「あなた」=「私」であると思うなら、1番の「旅」とは「子供の夢を追うこと」であると分かる。

そして2番ではさらに、「届くことは無いのにね」と結んでしまっている。

つまり、自分の状況を「あなた」と呼んで客観視し、現状の延長線上が悲観的であることに自分自身でも分かってはいる、ということになる。

 

さらに続く歌詞も、重要なキーになっている。

 

私はパリの白い虎 小さな素朴な好奇心

溶けかけた心を引っ張って

応える景色に胸がいっぱい

なんと「私」=「虎」でもあった!

さらに1番との対応を考えれば、「乾きかけた紐」=「溶けかけた心」であり、溶けかけた心とは何かといえば、「小さな素朴な好奇心」ということになる。

以上を踏まえて1番の歌詞を読み直す。

 

台所で涼む虎 私は川を流れてる

虎とは「私」自身である。つまり、台所という現実の中に「私」は生きながら、夢の名残に浸っているのである。

 

大分明瞭になってきたと思う。

そして同時に2番Aメロの構造も分かってきた。

 

あなたはいつも不安そうに 瞳の奥を輝かせて

夢の名残を追いかける 届くことは無いのにね

私はパリの白い虎 小さな素朴な好奇心

溶けかけた心を引っ張って

応える景色に胸がいっぱい

「あなたは〜」は自分自身の客観視であり、冷たく大人びた目線である。

これに対して並列される「私は〜」は、より主観的で、否応無く現れてしまう子供の心である。

この2つは、自分自身の中で同時にせめぎ合っている。だからこそ、「あなた」「私」「虎」という、自分自身を示す3種類の主語が交ざり合って登場しているのである。

 

虎とは、無邪気で我儘で刹那的、あるいは高貴なプライドを纏った存在の象徴であると言えよう。そうなると「山月記」の虎がやはり連想される。恐らく意識はしているだろう。

 

最後に、続く2番サビはこうだ。

 

いい加減旅するのやめて

裸になれたらいいのにね

日暮れにはあなたの声

「裸」と言ったらむしろ無邪気な子供のイメージに思えるが、しかし「私」は既に、子供の夢にしがみついている現状が「現実逃避」であると知っている。

裸になるとは、子供の夢を取り戻すことではない。自分の中の諦めの心を受け止めて、昔の夢に彷徨いながら現実の自分を疎かにすることをやめて、まっさらな心で再び歩き出すことを言っているのだ。

そしてそれはもう「子供」ではなく「大人」の姿である。

本当に残酷で、痛々しい主張だと思う。

 

いい加減邪魔するのをやめて

私になれたら それから

日暮れには誰も知らない

もはや「旅」=「邪魔」と言ってしまっている。旅が自分自身を本当は邪魔しているのだと悟った、ということだろう。

「私になれたら」…現実逃避をする「あなた」と向き合い、現実の「私」と一致したその時には…

 

「誰も知らない」と結ばれている。

すなわち、夢に囚われていた過去の自分には想像も尽かない新しい人生、新しい未来がようやく始まるのだ。

曲タイトルの「旅立ち」とは、「私」が旅するのをやめたことによって始まる、新しい自分自身の未来への「旅立ち」のことを指していた。

 

 

 

感想など

この歌詞のグロテスクな所は、「私」にとって「旅」がずっと魅力的であることである。

大人になるべきだと分かっていながらも、それでも「旅」は私を魅了してやまない。

日暮れには笛の音、日暮れにはあなたの声…現実逃避へ誘う声が甘く誘う。一方で、ようやく大人になれたその日暮れには、「誰も知らない」という不安。

 

人が過去の拠り所を捨てて未来へ進むという決断の重さを、決して軽い格言に終始させてしまうのではなくて、どこまでも苦しく描き切っている。

その誠実さこそが、この歌詞が訴える力の根本であると私は感じた。

 

そして、それを実現するために複数の主語を使い分けたり、所々現実味のある文言を挟んだりして全体に違和感と重さを作った種々の表現技術についても、レベルが高いと思った。

 

おわりです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

補足

汚れた雲が流れてる

大体君はまだ未成年でしょう

これどういう意味?

 

これだけだと情報が少なすぎて正直分かんないが、色々解釈は出来そう。

例えば川を流れている「私」と「汚れた雲」の対応。「私」が腐っているという自覚を婉曲に表現しているとか。旅の情景はもはやただ美しいだけに映らなくなっているとか。

何にせよ「汚れた雲」という不穏な表現は、「私」の置かれたモヤモヤした状況の比喩であると思う。

 

「大体君はまだ未成年でしょう」とは誰が誰に言っているのか?全く不明だが、「私」が自分自身にそう言い聞かせて、まだ夢を追いかけて良いと自己を正当化しているとか。まだ若いんだから、と。